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日本の塗装の歴史 (明治編~)

日本の塗装の歴史 (明治編~)

明治4年(1871年)

「ペンキ」という用語が、初めて横浜毎日新聞に登場しました。

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明治5年(1872年)

新橋駅・横浜駅を輸入塗料で塗装しました。

その当時の白ペンキ1 缶(28 ポンド入(12.7Kg))3円25銭で大工の日給37銭と比較すると、約9倍もする高価なものでした。

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明治7年(1874年)

塗料の研究開始
東京開成学校(現東京大学)に、ドイツ人ワグネル博士が招かれ、ワグネル博士の助手であった茂木春太と彼の弟重次郎を指導して、顔料及び、塗料の研究を開始しました。

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明治9~10年頃(1876年~1877年)

日本人による洋式塗装の勃興期と言えます。しかし、当時ペンキは、東京で販売も行われておらず、横浜の貿易商社が輸入して扱い、イギリスのハバックス社製がその代表でした。

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明治10年(1877年)

国産セラックニスが仲万兵衛・川上保太郎により、製造開始されました。

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明治11年(1878年)

酒精ワニスが国産化されました。
当時のペンキ28ポンド入り(12.7Kg)缶が約3円、品川の土地が1坪約2円でした。

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明治13年(1880年)

茂木兄弟によって、国産原料によるペンキが完成しました。

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明治14年(1881年)

日本初の塗料工業が誕生しました。
茂木重次郎は、光明社(現日本ペイント(株))設立し、光明丹(鉛丹)、亜鉛華、堅練りペイント(顔料にボイル油を混入した糊状の塗料)の製造を始めました。

茂木兄弟による国産原料のペンキが第二回内国勧業博覧会に出展し褒状を受けました。

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明治18年(1885年)

日本の特許第1号は、塗料及び塗装でした。
漆工芸の大家、堀田瑞松が、漆を利用して出願した「堀田さび止め塗料及び塗装」が特許第1号として登録されています。

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明治27~37年(1894~1904年)

日清戦争・日露戦争の後、ボイル油・固練りペイント(亜麻仁油が主成分)・油ワニス・船底塗料が普及しました。塗料の技術発展が著しくなり、塗料の需要も急拡大しました。

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明治34年(1901年)

建築用・工業用塗料メーカー「神東塗料」の母体である「神戸ボイル油株式会社」創業されました。

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明治38年(1905年)

日本国内で初めて、大阪瓦斯本社ビル屋根にアスファルト防水が施工されました。

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明治41年(1908年)

エナメル塗料が開発されました。

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明治43年(1910年)

川上塗料製造所が創業されました。

日本ペイントの茂木重次郎は、安価な家庭用調合ペイントを供給する目的でエマルションぺイント「もてきペイント」を開発しました。

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明治44年(1911年

壁用水性塗料(ミルクカゼインバインダー)が製造されました。


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